分裂


「シルバー! シルバー!」
緑の町に、声が響いた。
「シルバー! ちょっと待ちなさい!」
サカキは、家のドアを開けて、小さくなる影に呼びかけた。
しかし、その影は振り返ることもなく消えていく。
サカキはため息をついた。
かつては、あの程度のスピード、楽々と追いつけたのだが、今ではもう少しの運動も難しい。
病気のせいだろうか、と思うと少し悲しい。
「まったく、シルバーのやつは……」
サカキはゆっくりと居間に戻ると、椅子に腰かけた。
まだニスの匂いが残っているような、真新しい椅子だ。
椅子だけではない。テーブルも、タンスも、何もかも……家ですら、新築だった。
シルバーとともに暮らす家を建てるとき、場所は迷わずここに決めたのだ。
常緑の町、このトキワに。
当然、地元からはかなりの反発があった。
抗議の手紙が殺到し、いやがらせも何度も受けた。
しかし、そうされても何も言えないかつての自分がいた。
しかし。
シルバーには、何の罪もないのだ……。
ロケット団事件を知らないホウエン地方や、せめてジョウトに住んではどうかと勧められたこともあった。
サカキ自身、そうしようと思ったことも何度もあった。
しかし、シルバーが言ったのだ。
住むなら、ここがいいと。
たとえいやがらせをされても何でもいい、ここに住みたいと。
ここに再び住むことができたのは、何よりグリーンとイエローのおかげだった。
住民たちに話をつけ、家を建てる場所を見つけた。
果ては建築業者まで手配してくれた。
かつての思い出の家は、すでになくなっていたのだ。
ほかならぬ、ロケット団の手によって。
未だに住民とのわだかまりが解けたわけではないが、そこそこやっていけている。
何よりシルバーと一緒に暮らしていける。
しかし、
「昨日の夜も、遅かったな……」
目下のところ、サカキの悩みはこれだった。
どこで何をしているのか知らないが、シルバーの帰宅時間が遅いのだ。
一緒に暮らし始めたころは互いに遠慮していたのかもしれないが、慣れてくると次第にシルバーが反発するようになってきたのだ。
あんな性格だから暴言こそはかないものの、さらりと無視されるとやはり傷つく。
「反抗期だろうか?」
よく考えれば、シルバーもそろそろお年頃。
悩みがないわけでもあるまい。
その上、父親ときたら……
サカキはため息をついた。
そりゃあ、シルバーも悩むに違いない。
体をあずけた椅子の背もたれが、ギシッと音を立てた。
と、その時玄関のチャイムが鳴った。
サカキ以外誰もいない家に、むなしく音が響く。
誰だろうと思いつつ、サカキはドアを開ける。
そこに立っていたのは、グリーンだった。
「……」
サカキは何と言ってよいかわからず、一瞬絶句する。
かつて敵同士だった相手。
許してくれているのかどうかは定かではないが、しかし自分を認めてくれている者。
しかしグリーンは気にもせず、持っていた紙袋を差し出した。
「おじいちゃんから、差し入れだ」
サカキはやっとかなしばりが解けたように、グリーンを家に上がるように勧めた。
しかし、グリーンは断った。
「別に、呼ばれてきたわけじゃないからな。それに、遅くなるとうるさい女が騒ぎ出す」
「なら」
サカキは、グリーンが帰ってしまわないうちに声をかけた。
「シルバーがいつも、どこにいるのか知らないか?」
グリーンなら、シルバーの居所を知っているかもしれないと考えてのことだった。
だが、グリーンは顔をそむけた。
「知らん」
「そうか。ならいいんだ。……いつもシルバーが夜遅く帰って来るから、心配しているんだ」
グリーンはサカキを睨みつけた。
「それで?」
「え?」
「それで仮に俺がそれを知っていたとして、お前は何をする気だったんだ?」
「……」
何も言えず、サカキは再び絶句する。
「どうせ、おまえはまだ父親としての仕事も果たしてないのだろう?」
「父親としての仕事だと?」
予想外の言葉に、サカキはオウム返しに聞き返す。
「そうだ。遅くなるのが心配なら、そう伝えればいいだろう。おまえはシルバーを、叱ったことがあるのか? どうせ、ないのだろう?」
決めつけたような言い方に、サカキは少し反抗する。
「叱っている。今日もそのことで叱ろうとしたのだが、シルバーは……」
「そうじゃない。お前はシルバーを本気で叱ったことがあるのか? いつも引け目を感じながら叱っているんじゃないのか?」
グリーンの鋭い視線をぶつけられ、サカキは動けなくなる。
サカキはこぶしを握りしめた。
「……己を棚に上げて、そんなことはできない」
そう、自分はシルバーを叱ったことなど一度もない。
……叱る資格など、己にはもうないのだ。
「確かに、お前がしたことは許されることじゃない」
グリーンが視線をずらした。
「だが、お前がそれを必死で償っているのは、俺もレッドもブルーも、みんなが知っている。シルバーも、だ」
まるで独り言のようにつぶやかれる言葉。
「何が言いたい」
グリーンはそっけなく言った。
「自分で考えろ」
そして、まだ持っていた紙袋をサカキに渡した。
「実は、お前に伝えに来たことがあったんだが、気が変わった」
グリーンはサカキに背を向けた。
「シルバーに直接、聞いてみるんだな」
グリーンは歩きだした。
その後ろを、外で待っていたらしいピジョットが追いかけていく。
緑の大地が、その姿を包み込むように受け止めていた。
いつの間にか、その姿をじっと見つめていたらしい。
悠々としたその背中が、徐々に小さくなっていくのを見て、はっと我にかえった。
それに気づき、サカキは自嘲気味にふっと笑った。
「大人すら恐れぬその目……」
レッドとジムで戦ったときのことを思い出す。
「……たとえあの時、戦ったのがレッドでなくとも、俺は負けていたのだな、トキワの新ジムリーダーよ」
己の時代は終わったのだ。
グリーンが見えなくなるまで見送ってから、サカキは家の中へ引き返した。


その日の夜。
「シルバー」
帰ってきたシルバーを、サカキは捕まえる。
「どこに行っていたんだ?」
「……」
シルバーは答えない。
それどころか、無視して自分の部屋に行こうとした。
サカキはその腕を捕まえ、無理やり椅子に座らせた。
「シルバー、言いたいことがあるならはっきり言いなさい」
「……」
「シルバー!」
「……だ」
ぼそぼそ、とシルバーがつぶやいた。
「え?」
「明日だ」
シルバーはうつむいていた顔をあげた。
「明日、俺はトキワジムリーダーに挑戦する」
シルバーの真意がわからず、当惑する。
「それがどうかしたのか?」
「トキワのジムリーダーはサカキ、父さんだ」
「シルバー、わかってるのか? 今のジムリーダーは父ではなく……」
「わかっているさ。だからグリーン先輩に頼んだんだ」
シルバーは、自分の手を押さえていたサカキの手を振りほどき、立ち上がった。
「明日だけ、父さんはジムリーダーに戻ってもらう。挑戦者はシルバー」
サカキは、突然の事にあっけに取られる。
「息子だとか父だとかロケット団首領だとか、そんなのは何も関係ない」
サカキは思い出した。
グリーンが差し入れと言って持ってきた紙袋の中に、ジムバッチが一つ紛れ込んでいたのを。
てっきり、間違って入っていたのかと思っていたが……。
「俺はサカキと戦いたい。それだけだよ、父さん」
そしてシルバーは部屋を出た。
戸を閉めようとしたシルバーに、サカキが声をかけた。
「……レッドと戦った時のようには、戦えないぞ、シルバー」
「俺も、レッド先輩ほど戦えるわけじゃないから」
そして、部屋の戸は静かに閉ざされた。




とにかくサカキとシルバーが書きたかったのです。
イエローが出せなくて残念。
欲張ればワタルも出したかったんだけどね(苦笑